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台湾保安宮にて思ったこと 2


さて、保安宮で医師としてのアイデンティティを大きく揺すぶられた私は、所在なく台北の街を歩いているのでした。
午後になって行ったところは中正記念堂、蒋介石元総統を祀ってある台北有数の観光地です。白壁の大きな建物を見て回っても、頭の中には「私は、病に悩まされる人の気持ちにこたえられるだけの努力をしているのだろうか?」その問いばかりが繰り返し巡ってきます。
「絶対に努力は足りていない、じゃあどこまで努力すれば良いのか?」きっと努力が十分足りる事はこれからもないのだから、とりあえず努力が足りないという気持ちは封印して、今後も努力を重ねていくしか折り合いはつけられないだろう。
ベンチに座りながら、そんなことを考えました。これならなんとか気持ちの崩壊は防げそうです。
次に、「患者さんは保安宮の神様にお祈りするつもりで、私の所に来ている。その気持ちにどう答えるのか?」の問いがやってきました。
「私と神様を取り違えてにお祈りに来ているとすれば、そもそもそのお願いは人間の私が引き受けられるものではないだろう。私にできることは神様のふりをすることではなくて、患者さんのナビになることなんじゃないか。」
ナビに徹するとすれば、それは私の得意分野です。まず患者さんの望みをよく聞いて、すぐ解決しないといけないもの、後回しにできるものを整理する。また、医学的には解決が難しいけれど、生命に危険が及ぶものではないので、手をつけない方がいい悩みもあるので、そのことをお伝えする。
ここをきちんとできれば、医師として十分患者さんの役に立てるはずだと確信がやってきたのでした。
今から15年前のたった半日の間でしたが、医師としてのアイデンティティを揺すぶられた台湾での時間は、忘れられないものになりました。